ベスト・キッド一気見した

夏風邪の微熱にうなされながらベスト・キッド(The Karate Kid - 4部作とジャキー・チェンのやつ)を一気見した。

スクラムマスターは必修の作品と言っても良いなと思えた印象に残ったシーンをつらつらと。(ネタバレを含んでる気がしないでもないので、みてない人はみてから読んだほうがいいかも)

The Karate Kid(2010)

センセイ(ジャッキー・チェン)とシャオ・ドレが龍の泉に行くシーン。 道中、コブラと対峙している女性に目を奪われるシャオ・ドレ。龍の泉に着いて「蛇の動きを女性が真似ていた」というシャオ・ドレに対し、センセイは「観察が足りない。蛇が女性を真似ていたんだ。」と伝える。 そんなシャオ・ドレにセンセイは、「泉に何が映っている?」と訊く。「僕がうつっている。」とシャオ・ドレ。センセイは指で水面を撫で、「今度はどうだ?」と訊く。「波でゆがんだ」とシャオ・ドレ。 センセイは「そう。さっきの女性は静かな水面だ。静かで波を立てない。(頭を指して)ここも。(心臓を指して)ここも。ヘビは彼女の動きを自分の動きと思う。」と。「何もしないのにヘビを操れるの?」とシャオ・ドレ。 そんな彼にセンセイは「何もしないのと静かな状態とは違う。」という。

スクラムマスター は「何もしない」ことが最近言われるようになったけど、「何もしないのと静かな状態とは違う。」というのは重要なポイントだと思う。 スクラムマスター はチームの鏡であり、ただ静かにそこにいて、チーム自身の姿を水面のように映し出し、チームが自分自身で気づくことを促すというのが、「何もしない」ことの本質ではなかろうかと思った。

The Karate Kid(1984)

「Wax on, Wax off」でおなじみのやつ。 スクールカースト上位のいじめっ子集団と空手大会で対決することになったダニエル。アパートの管理人の日系人、宮城さんに空手を教えてもらうことになる。「わしは空手を教える。君は習う。わしの言葉に従う。質問はなしだ。約束だぞ。」と宮城。そして、最初の稽古が始まる。「車を洗え。それからワックスだ。右手でワックスをかけ、左手で拭き取る。質問はなしだ。鼻から息を吸って口から出す。」 そしてワックスがけの次は床のやすりがけ、塀のペンキ塗り、家の壁のペンキ塗りと続く。4日目に「何も空手を教えてくれてないじゃないか!」とぶちぎれるダニエルに宮城は「山ほど学んでおる。表ではわからん」という。帰ろうとするダニエルに宮城は「立ったまま床を磨け」という。ここで雑用を通じて基本的な動きを体に染み込ませていたことに気づくダニエル。

スクラムマスター はワークショップを多くする機会がある。「仕事を中断してまでなんでこんなワークショップをしないといけないんですか」なんて反発されることもある。 多くのスクラムマスター は宮城のセンセイ側に立っているのだ。ワークショップから学んでもらいたいことがある。それが一見遊びにみえるようなことでも、そこから学び取ってもらいたいことがある。 CSMの研修なんかでも、たくさんゲームをする。「高い金払って研修に来てまでなんでこんなことを?」と思う人もいる。でもそこには多くの学びがある。Copeの研修でやったゲームはいまだに思い出すと、当時気付いていなかった学びがあったことに気づく。(ボールを手渡す時間を競ったり、人との間隔を言葉を発さずに一定に保つゲームなんかをやった)

The Karate Kid, PartⅡ(1986)

宮城の過去が明かされるサイドストーリー。 沖縄の宮城の実家にある道場で「空手無先手」「先正其心」の軸が出てくる。 「空手に先手なし」「まず其の心を学ぶべし」 悪役のボス佐藤と戦えとけしかけるダニエルに、戦ってはいけないと頑なに固辞する宮城。空手は戦いの道具ではない。守るものであると。

スクラムフレームワークであり、何を目指しているのか、何を得ようとしているのか、我々は何かと戦っているのか、何かを守ろうとしているのか。 アジャイルを目指しているんじゃなかったけみたいな話にぶつかった時にいいかもしれない。

The Karate Kid, Part3(1989)

沖縄から帰ってきた2人。第1作でぶちのめしたコブラ会のセンセイが復讐しようとしてくる。 2連覇を目指してトーナメントに出場しようとはやるダニエルは勝つために色々と技を教えて欲しいと頼むが、宮城は「カラテを身や名誉を守るために使うならそれは意味がある。プラスチックのトロフィーを守るために使ってもなんの意味もない」と一蹴する。それでもいろいろあってトーナメントに出場することになり、勝つための技を教えて欲しいとダニエルは頼み込むが、宮城は教えない。そんな宮城を見限ってダニエルはコブラ会の罠にハマって敵道場の門を叩いてしまう。

スクラムマスター は「こんなことしても意味ないじゃん」とチームから拒絶されることがある。本作は宮城のセンセイとしてのあり方に注目したい。弟子から拒絶されても、本当に大切なことを教えるために寄り添い続ける。スクラムマスター としてもこうありたい。 「旅は行き先を知って行くもんだ。知らない時は家にいろ。」 (折られて海水に使った盆栽が復活したのを前に)「根っこが強かったのだ。君と同じだ。心がしっかりしていれば何も心配はない。」

The Next Karate Kid(1994)

2次大戦の戦友の孫娘を預かることになった宮城。(宮城は442連隊(日系人で構成されて欧州戦線の激戦地に投入され続けた実在の部隊)で軍曹だったときに名誉勲章を叙勲した設定。) 両親を亡くし、祖母のもとで暮らすジュリーは、悲しみを祖母に対する怒りという形でぶつけていた。 「ほっておいてほしい」と宮城にもその怒りをぶつけるジュリーに宮城は「知識のない望みは、砂漠にある船と同じ。怒っても誰も生き返らない。死は誰にとってもひどいものだが、皆その人生を生きねばならぬ。ご両親は君にカラテを残してくれたじゃないか。カラテはここ(心)。その価値を理解するには君は若すぎたんだ」と。「なにそれ?わかんない。わかるように答えて。」というジュリーに「答えが重要なのは、質問が正しい時だけ」とだけ返す。 宮城の旧友の禅僧に会いに禅寺へ向かう2人。そこで宮城はジュリーにカラテを教えるが「いつ戦うべき?」という質問に「自信を本当に大切にし、他人を敬えるようになればその答えは出る」とこたえる。 ラストシーンで戦いを挑もうとするジュリーを止める宮城はこの言葉を返されて、ハッとする。弟子から学ぶセンセイの姿勢は、チームに教えるだけでなくそこから学ぶスクラムマスター の姿勢とも重なる。

他にもハッとするシーンはたくさんあるので、みたことない人は是非。ネットフリックスに全部あります。